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浪漫万丈

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●安倍首相の「米議会演説」の原稿は、



http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150502-00043188-gendaibiz-pol&pos=4


安倍首相の「米議会演説」の原稿はどうやってできたのか? 演出したスピーチライターの知恵とは

現代ビジネス 5月2日(土)7時16分配信


 

安倍晋三首相は4月29日午前11時過ぎ(米国東部時間)から米連邦議会上下両院合同会議で約45分間演説した。心配された演説中の傍聴席からのヤジなどの妨害は一切なかった。それどころか、出席上下両院議員のスタンディングが何と13回もあったほどだ。

希望の同盟

「安倍演説」(英語)のキーワードは、「hope」と「reconciliation」の2つである。

前者の「hope」(希望)は、そもそも安倍演説のタイトル「Toward an Alliance of Hope」(希望の同盟へ)に使われており、最後のパラグラフ=見出し「Hope for the future」(未来への希望)の中では3.11東日本大震災時に日本はトモダチである米国からの支援を得て希望を抱いたと述べた上で、「日米同盟」を「希望の同盟」にしようと呼びかけた。

後者の「reconciliation」(和解)は、前日の28日午前、ホワイトハウスで行われたバラク・オバマ大統領との日米首脳会談後の共同記者会見に合わせて日本政府が発表した3つのペーパーの一つ「日米共同ビジョン声明」の冒頭にも使われた言葉である。

以下、引用する。「第二次世界大戦終戦から70年を迎える本年、我々二国間の関係は、かつての敵対国が不動の同盟国となり、アジア及び世界において共通の利益及び普遍的な価値を促進するために協働しているという意味において、和解の力を示す模範となっている」――。この「和解の力」の英語表記が「the power of reconciliation」である。

演説最終稿は出発直前に決定

「安倍演説」では、事前に同行記者団にも知らされていなかった、議会傍聴席に招かれたサプライズ・ゲストとの関連で言及された件で使われた。即ち、70年前の2月、当時23歳の海兵隊大尉として硫黄島に上陸したローレンス・スノーデン海兵隊退役中将(93歳)と、玉砕した硫黄島守備隊の栗林忠道司令官(陸軍中将)の孫である新藤義孝前総務相(第2次安倍政権)の2人が隣り合わせに座って傍聴した。

そして安倍首相は演説の中で、今なお硫黄島で開催される日米合同の慰霊祭に欠かさず参加するスノーデン海兵隊中将が座る傍聴席に向かって「スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。本当に、有難うございます(To General Snowden, I say that I pay tribute to your efforts for reconciliation. Thank you so very much.)」と述べた。

後者のワーディングは、改めて指摘するまでもないが、終戦後の日米の和解がその後の日米協働による世界平和と繁栄実現に貢献したと自賛することで、「安倍演説」の中で歴史認識についての言及に注目していた中国、韓国に対するアピールとして使われたのだ。

「侵略」、そして「お詫び」という言葉を使わないことに拘った安倍首相自身が、スピーチライターの谷口智彦内閣官房参与(慶応義塾大学大学院教授)と繰り返し話し合う中で、「希望」と「和解」を議会演説のキーワードにすることにしたのだ。と同時に、谷口氏が草案準備の過程でスノーデン海兵隊退役中将と新藤衆院議員に「奇縁」を知り、演説に盛り込んだというのだ。そして2人は招かれた。

それだけではない。演壇上のジョセフ・バイデン副大統領(上院議長)の隣に座っていたジョン・ベイナー下院議長は、安倍首相がその前のパラグラフ「第2次大戦メモリアル」でアーリントン国立墓地の第二次世界大戦記念碑とホロコースト記念博物館を訪れた時の印象を語り、さらに第二次世界大戦の激戦地であったバターン・コレヒドールなど固有名詞を挙げた頃からハンカチを取り出して、終には硫黄島の名前が出たところで涙を拭ったのだ。

因みに「安倍演説」の最終稿は、政府専用機で米国の最初の訪問地・ボストンに向け飛び立った26日午後5時23分直前まで東京・富ヶ谷の自宅滞在中の2時間に内容とレトリックが決まったという。

『ニューヨーク・タイムズ』など一部の米メディアの中には批判的な報道があったのは事実だが、まさに“安倍の、安倍による、安倍のため”の米議会演説であった。 

歳川 隆雄




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