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- Date:2024年11月22日
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ヤンキースの田中将大投手(25)が、スポニチ本紙の独占インタビューに応じ、メジャー1年目を振り返った。最初の14試合で11勝をマークし全米中に衝撃を与えたが、7月中旬に右肘じん帯の部分断裂で2カ月半の離脱。9月に復帰し、チームトップの13勝(5敗)を挙げたものの、悔しさばかりが残った一年だった。その一方で故障を経験したことで感じたこともあった。田中は8日に帰国。真のエースと期待される勝負の2年目へ、大事なオフを過ごす。
【写真】「モーニング娘。’14」の米国公演に来場した田中将大、里田まい夫妻
――メジャー1年目を振り返って、まず思うことは。
「残念というのが一番。自分自身も半分しか働けなかった。(プレーオフを逃した)チームの成績も自分の責任もあると思う。2カ月も離脱したし。それに、ジーターの最後の年でもあった。悔しいシーズンでしたね」
――今はポストシーズンの真っ最中。試合は見ているのか。
「そうですね。雰囲気が全然違います。初回の1人目の打者を抑えた時から、9回かと思うぐらいファンが騒いで、そのまま最後まで。こうもレギュラーシーズンと違うのかと、あらためて思いました」
――日本のシーズンより短い期間での162試合。体験した印象は。
「タフですよ。連戦がたくさんある。でも、もう休まないことが普通になった。休みがあるという感じがなくなった」
――13勝5敗、防御率2・77という成績は。
「ある程度、ゲームをつくれていたということで、勝ちに結びついた部分はある。でも、基本的にピッチャーは野手の方々に点を取っていただいて勝ち星がついてくる。数字は皆さんのおかげだと思っています」
――渡米の時点で、あまり情報を入れていないと言っていたが、顔と名前が一致するメジャーリーグの選手は増えたか。
「そりゃあ、増えましたよ。バッターの顔と特徴は分かっておかないといけないですからね。でも、メジャーの選手くらい中継も見ていたし、知ってますよ。僕、他の(競技の)スポーツ選手もちゃんと知ってますからね(笑い)」
――メジャーの投手を生で見て、凄いと思った投手は。
「クリス・セール(ホワイトソックス=注1)とかフェリックス・ヘルナンデス(マリナーズ=注2)とかかな。セールは、イチローさんが打つ(8月24日)まで左打者に1年くらいタイムリーを打たれていなかった。圧倒的数字じゃないですか、それは」
――ヘルナンデスは。
「雰囲気とか、やっぱり、ありますよね。放つものというか。それはやっぱり違う。彼が一番そう感じた。マウンドでの風格というか、たたずまいというか」
――1、2番や下位の打者に本塁打を浴びることが多かった(注3)。メジャーの打線の怖さをあらためて感じたのか。
「それは日本とは違いましたね。でも、日本はそういう(下位の)打順の選手はこっちの選手にないものを持っている。器用なことができますしね。そういう違いはあります」
――来季について、ジョー・ジラルディ監督は32試合投げてほしいと話していた。
「まずは1年間しっかりとローテーションを守るということが一番。こういう世界で毎年200イニング、今年は199イニングでしたけど、投げ続けている黒田さんはあらためて凄いと思った。来季は自分がそういうふうにずっと投げられるようなシーズンにしたい」
――200イニングという数字はやはり意識する。
「試合数は少なくても200投げたらいいや、というわけではない。先発した中で少ない球数で長いイニングを投げてというのがいい。イニングを食える投手は250とか超えてくる(注4)。僕は130、140くらい(136回1/3)ですから、まずは200というところを投げないといけないかもしれない」
<注1>25歳の大リーグ屈指の左腕。3年連続2桁勝利。今季は12勝4敗、防御率2・17。サイド気味の腕の振りから投じる95マイル(約153キロ)前後の直球とスライダーが持ち味で愛称は「コンドル」。
<注2>ベネズエラ出身の28歳。愛称は「キング」。19歳でメジャーデビュー以来、8度の2桁勝利。10年はサイ・ヤング賞に輝き、12年には完全試合を達成。今季は15勝6敗、防御率はリーグトップの2・14。
<注3>打順別では1番=2、2番=2、3番=3、4番=1、5番=1、6番=3、7番=0、8番=1、9番=2。
<注4>最近10年間で250イニング以上投げたのは3人だけで、08年サバシアの253回、10年ハラデーの250回2/3、11年バーランダーの251回。メジャーでは多くのイニングを投げる(食べる=Eat)投手を「イニング・イーター」と呼ぶ。
1年間ローテを守ったヤンキースの黒田(右)と田中 Photo By スポニチ |
――プロ入りしてから何度か故障で離脱した経験がある。選手生命の危機とも言われた右肘の故障は、過去の故障と比べてどうか。
「どうですかね。正直なところケガした時は10日、15日くらいで1、2回登板を飛ばせば戻れると思っていた。それが2カ月もかかった。思ったよりは時間がかかった。比べることはできないけど、大胸筋をやったとき(10年8月=注5)はそのままシーズンが終わりましたからね」
――ケガを乗り越えたことは今後の野球人生にどう生きるのか。
「ケガしている間にいろいろなものを見ることができたし、感じることもできた。本当に自分にとって価値のあったものかどうかは来年以降に自分が見せていく姿ではないかと思います」
――自分の体を知る意味では、ケガをする一つ手前で自分でストップをかけることが大事になる。
「そこは凄く大事。僕は毎回、こういう故障があると長引いてしまうので、やっぱり一歩前で言わないといけないかなと思う。そこは勉強になりました」
――中4日(注6)で投げていく中で、このあたりを強化しなければいけないと思った部分は。
「ローテーションを守りながら、強化していくという難しさは感じました。登板間隔がどうしても短い。回復させないといけないという方に意識がいっていたので、その辺の意識のバランスですよね。その難しさを感じました」
――体が元気であれば来年以降もマウンド、ボールには対応できるというように映った。
「そうですね。でもそれ(体調面)が一番、難しいですよね」
<注5>10年8月29日の西武戦(西武ドーム)に先発した際に、右脇腹付近に張りを訴え、6回終了後に降板した。翌30日の精密検査で「右大胸筋部分断裂」で全治3週間と診断され、以降は登板なし。同年は楽天時代で最も少ない20試合、155投球回に終わった。
<注6>今季は中4日での登板が8回。故障前の最後の先発だった7月8日インディアンス戦は、初めて中4日が2回続いた登板だった。
「モーニング娘。’14」の米国公演に来場した田中将大、里田まい夫妻 Photo By スポニチ |
――右肘の負担軽減を前提に周囲はフォームの改良を口にするが、少し意識を変える程度と理解していいか。
「そう。フォームが変わることはないです」
――英語力はキャンプの時と比べたら上達した。
「全然変わんないっすよ(笑い)。それは冗談として、話す部分ではそんなにバリエーションがないですけど、なんとなく耳は、キャンプの時に比べれば良くなったかな」
――日本に帰って久しぶりに食べたいものはあるか。
「日本食は家で作ってくれる人がいるから食べられますし。米国は生卵は危ないので、卵かけご飯が食べられなかったけど、最近、大丈夫な卵を見つけました。ちょっと怖かったですけど。でも日本の方が食べ物はおいしいですからね」
――今後の自主トレは。
「今は休ませてくださいよ。そういうのを考えるのも(笑い)」