[PR]
- Category:
- Date:2024年11月22日
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
4月8日、25歳の誕生日に東京・秋葉原のAKB48劇場で卒業公演を迎える。2005年12月の劇場オープン以来、約10年。最初期メンバーとして、近年は初代総監督としてグループを率いるリーダーを務めてきた。
「本当は約400人いるメンバー一人一人のことなんか知ったこっちゃない。私は私、住む場所も違えば全員をまとめるなんて無理。みんなを鼓舞しても、個人レベルまでは面倒みきれない。そこは自己管理だよ、と」
突き放すような言葉だが、各々がプロとして自立できるようにとの思いが根底にある。キャプテン魂のようなイメージを持たれるが、昔は寡黙な少女だった。
「病弱で暗くて、いじめられていた。それが小学4年生のとき突然、人が変わったように元気になった。いい先生と出会えたんです」
サッカー好きでイタリア代表の青いジャージーを着て髪形はリーゼント。車はシャコタン。そんな教師が赴任した。
「すごく自由で、お父さん的な存在。休み時間には一緒にサッカーするし、女子も呼び捨てにするぐらい親しかった」
歌が好きになったのも、同じころだ。
「母親が芸能や音楽が好きで、お気に入りの曲を集めたカセットを聴かされました。友達と初めて行ったカラオケで、母が好んだ中森明菜さんの『DESIRE』を歌ったら、いいじゃんって言われて、歌が大好きになって。明菜さんは今でも好き。一度でいいからお会いしたい」
母の意向で、数々のオーディションを受けるも落選続き。AKBを受けたときは中学2年生で、高校受験を前にした最後の挑戦だった。
「合格して嬉しかったけど、不安もあった。他のメンバーも同じで、当時は誰一人としてアイドルになりたくて入った子はいなかったんです。AKBが自分の目標に行き着くステップになるのかどうか、見えなかった」
2005年に劇場がオープン、最初は7人だった客が徐々に増え、翌年には音楽番組「ミュージックステーション」に出演し劇場で人気の楽曲「スカート、ひらり」を披露した。秋葉原の一グループが全国区となり、上り坂に突入した感があったが…。
「スカートをひるがえす振り付けで、ゴールデンタイムにパンツを見せるなんて選曲ミスでした。あのあと“パンツ見せ集団”と揶揄され、ヤバイやつらが出てきたみたいな感じでしたから」
創設2年後の07年には紅白初出場。このとき、アイドル界を席巻したモーニング娘。をはじめハロプロ勢が出ていた。マスコミは、新旧アイドル勢力の戦いとして盛り上げた。
「勝手な構図だな、と思いましたね。モーニング娘。さんは大先輩。ライバルというレベルの話じゃない。こちらはアキバ枠的なくくりで歌の披露も1分もなく、一アーティストとして紅白に出られたとは思っていなかった。当時は何をやってもブレークできず、ただ毎日必死にやっている状況でしたから」
その後、レコード会社との契約打ち切りの試練を経て、08年10月、新たにキングレコードから発売した「大声ダイヤモンド」がチャートで3位を飾ると、ギアが時代とかみ合ったように駆け上がる。09年にはテレビ出演が急増しCDも1位を連発、「国民的アイドル」に成長した。半面、バッシングも受けた。握手券目当てに大量のCDを買うファンが批判の的に。
「『クソ食らえ』ですよ。じゃあ毎週土日、10時間立って握手できるか。ファンがいやいや握手にきてるなら叩かれてもしようがないけど、ファンもメンバーも会えてよかったと思っているならいいじゃないですか」
グループの話になると、目に強い力がこもる。卒業したら高橋みなみは、どこへ行くのか。
「歌をやるために、卒業するんです。週末が握手会に取られると活動の幅も狭まるし、AKBは10年かけてやりきった。なぜか政治家転身説が出たこともあるけど、ないです。まずは歌手としてファンを喜ばせたい」
恋愛も解禁だが。
「17歳ぐらいで芸能界に入ったなら彼氏もできたかもしれませんが、14歳で入ったので何もなかった。好きな人はいても、恋愛に発展しなかった。今も25歳としては笑っちゃうぐらい幼稚な恋愛観で、手をつないでお散歩してみたい。でも、男の人がいないと生きていけない、というのではなく、仕事をする中で素敵な出会いがあれば」
この10年間、できないことはいっぱいあった。
「修学旅行も行かなかったし、勉強も。でも、欠落したものよりも、AKBで学んだことのほうが多かった。出会った人の数だけ学ばせてもらった。得たことしかない10年間でした」 (ペン・志和浩司 カメラ・春名中)
■たかはし・みなみ 歌手。1991年4月8日生まれ、24歳。東京都出身。2005年のホリプロタレントスカウトキャラバンで決選大会15人に残るも落選。並行して応募していた「AKB48オープニングメンバーオーディション」に合格。同年12月8日、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立つ。2007年1月、折井あゆみ卒業に伴い、リーダー役を引き継ぐ。翌年には小嶋陽菜、峯岸みなみと「ノースリーブス」結成。09年からAKB48グループ初代総監督に就任。13年1月、「Jane Doe」でソロデビュー。今年2月、オフィシャルファンクラブ「Cheeky eyes」設立した。4月8日の劇場公演を最後にAKB48を卒業する。