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- Date:2024年11月22日
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孫子が一瞬でわかる11の言葉
●彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。
相手を知って自分のこともわかっていれば、百度戦っても危ないことはない。相手のことはよくわからないとしても、自分のことがわかっていれば、勝ったり負けたりということになるだろう。相手のこともよく知らない、そして自分のこともわからないという状態であれば、戦いの度に、決まって危険な目に陥ってしまう」――ということになる。
●兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
戦争は国家の命運を決める大事な問題。国民の生死が決まり、国家存亡の分かれ道となる。だから、そこのところをよくよく考えて行わなければならない。※「孫子」の一番最初に出てくる言葉。
●兵は詭道(きどう)なり。
戦争はだまし合いである。※これこそ、「孫子」の中心的な命題。
●算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而(しか)るを況(いわ)んや算なきに於いてをや。
戦いは勝ち目があるから勝ち、勝ち目が少なければ勝てない。だから、ましていわんや、勝ち目がまったくないのに戦っても、勝てるはずがない。※戦争するからには、よく計算してからにせよ、ということ。精神論はダメ。
●兵は拙速(せっそく)なるを聞くも、いまだ功の久しきを賭(み)ず。
古来、戦いはすばやく集中してやるのが良いとは聞いているが、ぐずぐずだらだらやって、国家国民のためになったなどという例はない。※長期戦は避けよ、泥沼になっては危険このうえなし。
●百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。
百回戦って百回勝ったからといっても、それがベストな戦い方とは言えない。戦わずして敵の軍隊を降伏させてしまうのが、最もすぐれた戦い方なのだ。※「孫子」のなかで、私たち日本人が最も愛してきた言葉?戦わずして勝つ――!
●戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝(あ)げて窮むべからざるなり。
戦いの形は奇(奇襲戦法)か正(正攻法)かのどちらかに過ぎないのだが、その奇と正が織りなす変化の形は無限となる。※千変万化、変幻自在の戦術で戦いに臨め、ということ。
●兵の形は実を避けて虚を撃つ。
戦いの形、作戦は、敵の備えの厚いところを避け、隙のあるところ、手薄なところ、油断しているところ、すなわち「虚」を衝け。※個人的に「実を避けて虚を撃つ」、この言葉こそ「孫子」のもっとも重要な言葉と考えている。この言葉の前に「兵の形は水に象(かた)どる」がある。これも重要。
●兵は詐(さ)を以て立ち、利を以て動き、分合(ぶんごう)を以て変を為す者なり。
戦いでは敵の裏をかくことを中心にすべきだし、有利なところを見極めて動くべきだし、自在に分散したり集合したりして変化の形をとっていくべきだ。※繰り返し、繰り返し、「孫子」は”変化せよ”、と説いている。
●主は怒りを以て師を興すべからず、将はいきどおりを以て戦いを致すべからず。
君主は怒りにまかせて軍を動かすべきでないし、将軍も憤りに任せて戦ってはならない。※冷静であれ、と説く。「孫子」はクールで、物事にとらわれない姿勢を求めている。
●先知なる者は鬼神に取るべからず。……必ず人に取りて敵の情を知る者なり。
あらかじめ戦いの帰趨を知る者は鬼神のおかげではない。必ず人(間諜)に頼ってこそ、敵の情報を得て先を読むことができるのだ。※「孫子」の最後の章は「用間篇」。すなわち間諜、スパイの効用、情報の重要性を説いている。これが2500年前の書だ。
※※
■「孫子」について……古今のリーダーに啓示を与える必読の書。
「孫子」はいまからおよそ2500年前、中国古代(春秋時代)に生まれた戦いの書、戦争の理論書――。著者は諸説あったが、最近の研究では孫武に落ち着いている。
当然のことながら、「孫子」が時代を超えて読み継がれ、さらに西洋など、異なる文化圏にまで支持されているというのは、その言わんとするところが、いつの時代にも、人間の行いの所産としての政治、外交、ビジネス、人間関係のすべてに通じているがゆえのこと。
事実、「孫子」から歴史上の、そして現代のリーダーたちが多くの啓示を受けてきた例は、数多く紹介されている。
※※
ナポレオンはフランス人宣教師の訳した「孫子」を多忙な戦陣にあっても片時とも手放そうとしなかった。
独皇帝ヴィルヘルム2世は第1次世界大戦に破れ、亡命先のロンドンで初めて「孫子」を手にし、次のような悔恨の言葉を残している。
「もし私が、20年前にこの書を得ていたならば、あのような惨敗はまぬがれていただろう」と。
日本において「孫子」を中国から初めて持ち帰ったのは、8世紀の遣唐使、吉備真備と言われている。
武田信玄の旗印「風林火山」も「孫子」の一節からとられたもの。徳川家康が官版「武経七書(代表的な7つの兵法書、全集のようなもの)」を刊行させたことが契機になって、江戸時代には儒者が競って注釈を書いた。
※※
現代ではどうか……。
「孫子」は、米国のウエスト・ポイント米陸軍士官学校で長く副読本となっているらしい。
先の湾岸戦争において、制服組の最高司令官であったパウエル氏(現国務長官)もナポレオンのように「孫子」を愛読し、やはり戦陣に携えていたという。
その湾岸戦争中に、ロサンゼルス・タイムズの記者がジョージ・H・ブッシュ大統領(父ブッシュ)にインタビューするため、ホワイトハウスの執務室を訪れたところ、机の上にあった2冊の書のうち1冊が「孫子」だった――。ちなみに、もう1冊は「カエサル伝」だったという。