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浪漫万丈

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●すべて秀吉の捏造だった「本能寺の変」



信長、家康、光秀の「歴史」は、すべて秀吉の捏造だった!嘘だらけの「本能寺の変」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150514-00010004-bjournal-soci&p=3

明智光秀の子孫が書いた『本能寺の変431年目の真実』(文芸社文庫)が、発売から1年4カ月が経過してもなお売れ続け、27万部を突破する驚異的な売れ行きを見せている。

著者は明智憲三郎氏。もともとは三菱電機のシステムエンジニアで、いわゆるプロの学者ではないが、先祖の名誉回復を願う子孫が感情論で書いた本ではなく、国内のみならず海外も含めた膨大な数の文献に当たり、導き出した結論は、これまでの定説を根底から覆すものとなっている。

約50年間に及ぶ研究の成果を『本能寺の変四二七年目の真実』(プレジデント社)にしたため、2009年に発刊。この本も当時かなり話題になったが、その後さらに研究を重ねて加筆・修正したものが本書である。

紙面の関係上、定説と異なる点をすべて網羅することはできないが、大雑把にいえば「光秀の出自も違えば、謀叛の動機も怨恨ではないし、徳川家康も謀叛と無関係どころか実は共犯で、秀吉も事前に謀叛の計画を知っていたから中国大返しも実は神業でもなんでもなかった」というものだ。

定説は時の権力者・秀吉が、自分に都合の良いストーリーを組み立て、それに合わせてさまざまな文献の書き換えも行われ、利害が一致した家康もそのストーリーに乗り、後の時代に尾ひれがついて出来上がったものと考えられる。そして後世の学者も、なぜかそこへ乗ってしまったというのである。

●絶大だったNHK大河ドラマのスリコミ効果

なにしろ戦国時代から江戸幕府開闢までの時代は人気が高い。織田信長が天下統一を目前にして本能寺の変で逝き、いったんは天下を取った豊臣秀吉が統一を目前にして逝き、徳川家康が江戸幕府を開くまでのこの時代を扱った時代劇はヒットする確率が高く、NHK大河ドラマのみならず、テレビ東京の正月時代劇などでも繰り返し取り上げられてきた。

特に現在放送中の『花燃ゆ』で54作目となる大河では、信長、秀吉、家康の3人にスポットを当てた作品が『太閤記』(1965年放送)、『国盗り物語』(73年)、『おんな太閤記』(81年)、『徳川家康』(83年)、『信長KING OF ZIPANGU』(92年)、『秀吉』(96年)と、全部で6作もあるうえ、この3人の天下取りを別の主人公の目で捉えたものや、同時代に生きた他の戦国武将をテーマにしたものなどが12作。54作中合計18作、全体の3割以上がこの時代だ。ちなみに次に多いのが幕末~明治維新もので11作、日本人が大好きな「忠臣蔵」関連は4作ある。

最近でこそ視聴率低迷に悩む大河だが、かつては驚異的な高視聴率を誇り、国民の歴史認識へのスリコミ効果は絶大だった。筆者も子供の頃は大河のストーリーこそが歴史的に正しい事実だと思い込んでいた。実際、ろくに本も読まなかった筆者の日本史の知識は、中学を卒業するくらいまで、ほぼ大河によって形成され、物語中に登場する架空の人物まで実在の人物だと信じていたくらいだ。

明智氏も、本能寺の変をめぐる定説を、現代に生きる日本人に徹底的にスリこんだのは『新書太閤記』(吉川英治)と『国盗り物語』(司馬遼太郎)であり、この2作品を原作として制作された大河ドラマだと本書中で指摘している。なにしろ『太閤記』は平均31%、最高39%、『国盗り物語』は平均22%、最高29%もの高視聴率を獲得していたのだから当然だろう。

62年生まれの筆者の歴史観もまた、まさにこの2作品によって構築されている。『太閤記』で秀吉を演じた若き日の緒形拳の姿や、信長を演じた高橋幸治の“棒読みなのに怖いセリフ回し”などを記憶している程度だが、『国盗り物語』放送時は小学校5年生となっており、出演者やストーリーなどの記憶は極めて鮮明だ。

例えば、光秀謀叛の動機は、定説では怨恨だ。インテリでナイーブな光秀が、粗暴でキレやすい信長からのモラハラやパワハラに悩まされた挙げ句の行動であり、企ては突発的で無計画、しかも単独犯行だった、というものだ。

光秀の役は『太閤記』では悪役然とした佐藤慶が演じたが、『国盗り物語』では当時31歳の近藤正臣である。当時の近藤はイケメン路線のど真ん中。まさに定説のイメージ通りだった。松坂慶子が演じた信長の正室濃姫も、光秀のいとこであり淡い初恋相手という描かれ方だ。また定説では濃姫の口利きで光秀は信長の家臣になったといわれているが、明智氏はそういう事実もないと語る。信長がキレやすく粗暴だったというのも秀吉の創作だというから驚きだ。

●なかなか覆せない定説

この2作品に限らず、大河はどれも原作者自体が歴史小説の第一人者である。時代考証にもそれなりの肩書の人が就いて制作されているので、架空の人物が登場することはあっても、学説上の定説から大きく逸脱することはない。

その点こそが、まさに明智氏が問題視している点で、本能寺の変をめぐる定説の元になっているのは江戸時代になって書かれた「軍記物」であって、その「軍記物」のネタ元は秀吉が書かせたPR誌なのだ。そのPR誌に書かれている事実が、本能寺の変が起きた前後の時代の文献に書かれている事実や、当時日本に来ていた宣教師が母国で残した記録と符合しないのだという。

例えば、信長が実は中国制圧を考えていたことが、イエズス会の宣教師が書き残した文献に記されているし、家康が謀叛の共犯者だったということも、イスパニア商人が書き残した文献には記述があるという。

全般に、複数の文献と定説が符合しない点から事実を類推する手法が取られているので、部分的には妄想だと批判する声もあるようだが、この本を読んだ多くの人にとって「すとんと腹に落ちる」類推だからこそ、長期間にわたって驚異的な売り上げを記録し、著者の元には全国から講演依頼が殺到するのだろう。だが、それでも世間一般の認識を変えるには至っていない。

少し前まで放送されていたゲームアプリ『モンスターストライク』(ミクシィ)のテレビCMにおける信長と光秀の関係も、定説通りだ。明智氏が光秀の末裔であることが、かえって研究成果の評価にバイアスをかけているということはないのだろうかという疑問も湧く。

明智氏の研究成果を検証する歴史小説家が現れ、明智説を踏襲する小説が生まれ、それが大河で放送されて、ようやく明智説は名実ともに市民権を得るのかもしれない。

伊藤歩/ジャーナリスト






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