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浪漫万丈

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●木村沙織 どんな時も周囲を気遣う人柄が出た引退報告会見



木村沙織の引退に取材陣も悲嘆 口下手でも愛された理由

2017年3月25日 


インドア女子バレーボールの日本選手として初となる四度の五輪出場を果たすなど、長年に渡り、日本バレーボール界の顔であり続けた木村沙織が、3月いっぱいでの現役引退を正式発表。3月22日に本拠地である滋賀県の東レアリーナで引退報告会見を行った。

昨年10月10日のVプレミアリーグ開幕前に自らのブログで「24番から始まった私のバレーボール人生は2番で締めくくります」と記し、今季限りの引退を示唆してきたのだが、いざリーグが始まってからは引退の経緯や決意した理由に触れることはなく、あくまで東レアローズの一選手として活動してきた。

東レにとって最終戦となった3月5日のNEC戦も、これが木村の現役最後の試合になる可能性が高いと踏んだ取材陣が80名近く、会場となった横浜文化体育館へと足を運んだのだが、試合終了後の記者会見では「質問は今日の試合についてのみ、引退に関しては別途時間を設ける」と告げられたため、一部の報道陣からは不満も漏れた。

そもそもシーズン開幕前に引退を示唆していたのだから、コメントが必要ならばこれまでの試合に足を運べばいいだけの話でもあるのだが、通常の試合に訪れるメディアの数は5人いれば多いというのが現状。最終戦で引退に関するコメントがないなら書けない、と躍起になるのも無理はないのだが、結果的に、バレーボール界の功労者である木村の現役最後の公式戦にミソをつける形となった。

それから約2週間後の3月22日、東レアリーナには横浜文化体育館の最終戦と同様に多くの記者が詰めかけた。テレビカメラやスチールカメラのフラッシュに照らされながら「緊張します」と小さな声でつぶやきながら、木村が笑顔で登壇。

「今月末をもって現役を引退することをご報告いたします。本当にたくさんの方々に支えてもらって、今は感謝の気持ちでいっぱいです。そして、現役中は取材になかなか協力することができなかったことに対して、ご理解いただきありがとうございました。今日は何でも答えられるように頑張りますので、よろしくお願いします」

冒頭の引退報告の後、代表質問を皮切りに記者会見がスタート。現役時代に最も印象に残る試合が銅メダルを獲得したロンドン五輪の準々決勝の中国戦であったことや、引退を決意したのは「以前と比べて『絶対に試合にでたい』とか『負けて悔しい』という気持ちが薄れて来た」ことなど、包み隠さず、1つ1つの質問に対して真摯に答え続けた。

バレーボールに限らず、昨年末に結婚した家庭についても言及。「のんびりと、ほんわかと。温かい幸せな家庭を築けたら」と笑顔で答えた。

笑顔の中にも時折涙を見せながら全体の質疑応答を終え、テレビ、ペンの順番でカコミ取材がスタート。ここでも「NG質問はなし」という事前の通達通り、バレーボール人生、そして「これからは主婦として家庭を一番に考えたい」など飾らない言葉で取材に応じ、ペン記者へのカコミ取材だけで1時間もの時間を費やした。

長年に渡って練習拠点としてきた東レアリーナでの会見は、木村が所属するマネジメント会社だけでなく、東レの選手やスタッフも全面協力。駐車場の誘導や靴を入れるビニール袋を選手やスタッフが配り、報道陣には木村が描いた愛犬と自分のイラストステッカーを貼った水が配られた。

「遠方まで来ていただいたのに水一本で申し訳ないんですけど(笑)、今まで私はインタビューも苦手で、みなさんにすごく迷惑をかけてきたのに、たくさん協力していただいて、少しでも感謝を伝えられたら、という気持ちで用意しました」

もともと雄弁ではなく、見出しに使えるような言葉を常に発するわけでもない。だが、どんな時も周囲を気遣う木村の人柄が、最後の引退報告会見でも随所で見られた。

カコミ取材の終盤、取材陣から思わずこんな言葉がかけられた。

「少し休んで、もしも『もう一度やろう』と思ったら、我々は何も文句など言いません。いつでも帰ってきて下さい。待っていますよ」

誰からも愛され、多くの人に惜しまれながら木村沙織はコートを去る。第二の人生もどうか幸せに。長い間、本当にお疲れさまでした。

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木村沙織さんが語る、引退を意識したきっかけ


2017年4月8日、TBS「バース・デイ」では、「木村沙織30歳 涙の引退の真実!! 日本バレー界を支えた13年間の軌跡」として、2016-2017シーズンをもって現役を引退したバレーボール・木村沙織さんを特集。

3月22日に行われた引退会見後のインタビューを放送した。


17歳でアテネ五輪最終予選に登場した木村さんは、以後4大会連続で五輪に出場するなど、日本女子バレー界を牽引する存在に。

「10年に一人の天才」などと呼ばれることもあったが、全日本女子の監督を務め、ロンドン五輪やリオデジャネイロ五輪で木村さんとともに戦った眞鍋政義氏は「天才じゃないと思います。それ以上に努力ですね。

それは何回も感じました。サーブレシーブをクリアするまで練習を終わらないとか。目に見えない努力も数多くしてきました。負けず嫌い」と語っている。



木村さんもまた「それを表に出してたか出してなかったかは別として、絶対負けたくないっていう気持ちでずっとやってきた」と振り返ると、「いつ辞めてもいいと思ってずっとやってきた。

どのタイミングで終わったとしても悔いはなかったです」などと、その覚悟のほどをうかがわせた。


そんな木村さんが引退を意識するきっかけになったのは、2012年9月のトルコリーグ移籍だったという。ロンドン五輪で、チームの中心として活躍し、28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。

選手として円熟期に挑戦する格好となったが、世界最高峰のリーグでは、スタメンはおろか試合に出場できないこともあった。


この時を振り返った木村さんは「絶対出たいっていう気持ちになかなかならない時があって、これはアスリートじゃないぞって思ってきて、引退っていうのが頭に浮かび始めた」という。

それでも、リオ五輪代表チームのキャプテンとして木村さんを必要とした眞鍋氏が説得し続けると、木村さんはこれを受諾。

「挑戦せずに終わるのは、なんかちょっと違うのかなと思った。自分がキャプテンになったら、どんな感じになるのかなっていうのを頭の中で想像し始めるようになって、そこから決断は早かった」と話した。



それでも、リオ五輪ではメダルに届かず。木村さんは、その2ヶ月後、2016年10月に現役引退を表明した。

「みんなが私をキャプテンにしてくれた。このチームでもっとバレーしたいと言ってた子もいたので、そうやって言ってるのを聞くのがすごい嬉しくて。足りないところばっかりだったんですけど、すごいよかった」と涙を拭う木村さんだったが、インタビューの最後で番組スタッフから「復活はない?」と訊かれると、「ないです。

何でみんなそれ言うんだろう? ないないって言って本当にそんな気持ちになっちゃったら」と彼女らしい屈託のない笑顔を見せた。







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