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浪漫万丈

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●『真田丸』堺雅人 全50回振り返る




NHK大河ドラマ「真田丸」(12月18日に最終回)という作品について、主演の堺雅人(43)は、時代の荒波に翻弄され続けた真田家の「船旅」と例えた。クランクインという“船出”から約1年3カ月。主人公の幸村を演じてきた堺は、「大河ドラマという長い旅でしか見せてもらえない“何か”は絶対にありました」と、独特の笑顔を浮かべつつ振り返る。(文化部 本間英士)


■若作りは大変でした

《幸村を演じ終えた今の心境は》

「長い旅から帰ってきた気分」という感覚が一番近いですね。もちろん、旅が終わるのはすごく寂しいですが、家に無事帰れた喜びや、家族の顔を見たような安心感があります。

《撮影は長かったか、それとも短かったか》

1年余り、長いことは長いよね。生まれて初めての体験ですしね。そんな長期間、旅行したこともないし、そこまでいくと旅行というよりは、ちょっとした失踪だよね(笑)。得難い経験をさせていただきました。

《前半は青年・信繁を、最終盤は成長した幸村を演じた》

最初に若作りを頑張って、じょじょに力を抜いていく。後半は実年齢(43歳)に近かったので、楽でした。若作りは大変でしたよ。頑張りましたねえ。


■三谷さんは怖い方です

《昨年末時点では、信繁(幸村)のことを「サラリーマン」と例えていた》

「大坂の陣」を経て感じたのは、「市役所の課長さんクラス」がこんな感じなのだろうな、という思いです。ダムの決壊など不測の事態が起き、上からの連絡が途絶えたとき、現場の最高指揮者としてどう決断するか-という状況が、(幸村と)一番近い。日本はそういう人たちに支えられているんだと改めて思います。

《信繁は、「大坂の陣」に出る際から「幸村」を名乗った。何が違うと思うか》

「本名」と「芸名」ですね。幸村は戦いのためのコードネームというか、肩書に近い何かだと思っています。

《脚本の三谷幸喜氏からは、どんなことを言われていたのか》

前半、テキストとして脚本を大事にしすぎていたので、「もう10%くらい、現場の空気でやってみたら」と言われました。その10%というのが、実に三谷さんらしいですね。「現場の好きにやって」と言われるならともかく、10%って…。野球で例えるなら「球半個分くらい」みたいな、細かい指示ですよね(笑) そこが三谷さんの厳しさです。三谷さんは厳しく、怖い方ですよ。


■「上杉の人質生活編」もやりたい

《全50回を振り返り、好きなシーンは》

ものすごくマイナーですが、徳川家を裏切る石川数正(かずまさ)を説得するという、何でもないシーンです。実はあれ、人を説得しながら、自分(信繁)の心の傷を癒やすという、相当難易度の高いシーンでした。「これ、どうしよう…」と、ずいぶん悩んだ覚えがあります。数正役の伊藤正之さんのお芝居もあり、良いシーンになりましたが。

《堺は演じ始めた当初、信繁が幽閉生活を送った「紀州・九度(くど)山での日々が大事になるのでは」と言っていたが…》

2回くらいで終わりましたよね(笑)。「九度山編スピンオフ」、やりたいですよ。セットを使い回せるし、衣装もたぶん残っているので。

「上杉の人質生活編」もいいですね。やり切っていないし、スピンオフ全5話くらいで。(上杉景勝役の)遠藤(憲一)さんの都合が付けば、の話ですが。(家臣の)直江兼続も、もっと見てみたいですしね。


■上田市有志、なぜか徳川方に加勢

《周囲の人々に引っ張られ続けた前半とは異なり、「大坂の陣」では物語を引っ張る方に立ち位置が変わる》

面白いもので、後半には幸村が物語を引っ張っていかなきゃな、と僕も思っていたんですが、実際にはそうではありませんでした。父(昌幸)や石田三成、豊臣秀吉、茶々…。幸村の中にいる別の人たちの声が、幸村を動かしていたのです。

結局、幸村は、「自分では何一つ決めたことはなかったんだな」という気もしますね。それが演じていて、面白いところでした。

《「大坂の陣」の撮影では、大規模なロケを行った》

徳川方の兵士が、いい仕事していたんですよ。「真田愛」に満ちた長野県上田市の有志の方々が、エキストラとして参加してくれたんですが、それが全員、撮影の都合で(敵方である)徳川のよろいに着替えさせられるという(笑)。助監督が、「一番いい角度で『真田丸』をごらんになれますから!」と皆さんをなだめすかし、突進させていました。

ただ、本当に皆さん頑張ってくださいました。「負け側」に惜しみない愛を注ぐのが「真田丸」です。皆さんもうれしかったらしく、笑いながら討ち死にしてくださいました(笑)。役者やスタッフ、自治体の方らみんなで作った「真田丸」ですので、最後までお楽しみください。


■父の昌幸役もやってみたい

《昭和60~61年のドラマ「真田太平記」で幸村を演じた草刈正雄は、30年後に「真田丸」で父の昌幸を演じた。今後、昌幸や、兄の信之など、他の真田家メンバーを演じてみたい気持ちはあるか》

いやいや、草刈さんの昌幸は超えられないでしょ! いやぁ、どうだろう…って言いながらも、やってみたいですね(笑) 

信之も、(堺自身に)合っていると思うんですよ。逆に(信之役の)大泉洋さんは、幸村の方が合っていたのかもしれない。弟体質だし。でも、それが逆に良かったのかな。どちらかと言うと、兄が得意な僕が弟(幸村)をやり、弟が得意な大泉さんが兄(信之)をやるというのが面白いね、という話は以前、2人でしました。

お話があれば、(徳川)家康も、秀吉もやりたいですよ。佐助は…ちょっと無理だな(笑)

《「新選組!」「篤姫」に続き、大河ドラマは3作品目。俳優・堺雅人にとって、主演として臨んだ「真田丸」とはどういう作品になったか》

「真田丸」を旅で例えると、これまで大河では3回旅行に出て、そのうち2回は途中で船を下りました。今回は、最後まで船に乗ることができた。このことに、どういう意味があるのでしょうね…(と言って、10秒ほど深く考え込む)

変わらないといえば、変わりません。けれど、やっぱり、長い旅でしか見せてもらえない“何か”は、絶対にありました。ただ、信繁は「俺を見ろ!」という人ではなかったから、損をしていたかもしれないし、もっとアピールしていけばよかったなあ(笑)。まあ、それも信繁らしいという気がします。

僕にとって「真田丸」は、最後まで自分のペースがつかめなかった作品でした。でも、それがすごく楽しかったです。






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