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浪漫万丈

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●佐藤浩市、見えてきた景色について



芝居を習っていないという佐藤浩市は、撮影現場でメソッドを教わる日々だったという。映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』から、芝居を勘違いして遠回りした若き日の思い出と、それで見えてきた景色について語った佐藤の言葉をお届けする。

* * *
佐藤浩市は1983年、相米慎二監督・緒形拳主演の映画『魚影の群れ』に出演している。

「夏目雅子さんと砂浜で会話する場面から初日は始まったんだけど、『はい、もう一回』で稽古やってまた『はい、もう一回』それで最後は『やめよう』と言われて初日はカメラが回りませんでした。もう凹みました。

このやり方がダメだったら次は何をやろうかとなるわけです。セリフを変えたり毎回アクションを変えながら『OK』をもぎ取った。それで毎回芝居を変えるようになったんですよ。

緒形さんと初めて喫茶店で会うシーンでも、何度もNGが出て。それで、喫茶店のトイレに入って『ここから始めます』って監督に言って。緒形さんが店に入ってくと僕がトイレから出てきて『いらっしゃい』と言う。そこで初めて『OK』になりました。で、『そうか、こっちなんだな』と思った。今思えば浅はかなんですが、奇をてらった芝居をすればいいと考えたんです。

相米慎二が唯一僕に演出したのは、死ぬ場面でした。『お前、なに死ににいってるんだ』って。ハッとしましたね。台本を読めば死ぬって分かっているわけじゃないですか。あらかじめ死ぬと思っているから、こっちは死ににいくんですよ。でも、そうじゃない。僕の演じる俊一という男は死のうとはしてないんです。でも死んじまう。そう思ったことが、ホンの読み方のヒントになりました。

自分では結末を分かっている、何が起きるかを分かっている。それを前提にして芝居してはいけないということです。まず、その前提を捨てることなんですよね」

1986年の映画『犬死にせしもの』では主演をしている。

「この映画でも、本番でガンガン芝居を変えましたよ。そうしたら西村晃さんに『浩市、俺は付き合うよ。でも、そういうのがダメな役者もいるからな』って。でも、僕は『何を言ってるんだ。やったもん勝ちだ』って思ってるところがあって。でも、それは大きな勘違いでした。

蟹江敬三さんと吉行和子さんとのシーンがあったのですが。僕が二人に喧嘩を売って出ていって、蟹江さんと吉行さんが残るという芝居で。なんか『面白くねえな』と思って、灰神楽の灰を二人に投げつけて出て行ったわけですよ。それは『OK』になったんですが、できあがった映画を観たらば、僕が投げた灰の真白い中でお二人は延々とお芝居をされている。

その時、『俺は一人じゃないんだ』と、自分の勘違いに気づきました。当たり前のことなんですが。僕は芝居を習っていないから現場がメソッドなんです。

それでも、何回かテイクを重ねると自分で芝居を変える瞬間がある。その時には、あらかじめ演出家と共演の役者に『こうなるかもしれません』と最初から提示することにしました。

芝居を勘違いして、遠回りしなければ見えなかった景色が見れたんだと思います。『64─ロクヨン─』では瑛太が凄く芝居を変えてくるんですが、それを見ていてなんか嬉しくなっちゃう。『ああ、お前は今、そこにいるのか』って」



※週刊ポスト2016年7月15日号

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