忍者ブログ

浪漫万丈

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

●宇多田ヒカルがNHK朝ドラでついに復帰!


1998年、15歳の宇多田は日本の音楽をどう変えたか? そしてこれから...

2010年に「人間活動」のため長く音楽業界から離れていた宇多田ヒカルがついに帰ってくる。

先日、4月から放送されるNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌を宇多田ヒカルが担当するとのニュースが報道された。この楽曲をもって、彼女は本格的な音楽活動を再開すると見られている。活動休止中もラジオ出演や、配信シングル「桜流し」の発表など断続的な活動はあったものの、本格的な活動は6年ぶりだ。

長い間復活を待望されていた宇多田の新しい展開に音楽ファンから喜びの声があがる最中、偶然のタイミングで『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)という本が出版され、大きな話題を呼んでいる。著者は、「ROCKIN'ON JAPAN」(ロッキング・オン)、「MUSICA」(FACT)といった音楽雑誌編集部を経て、現在は映画・音楽ジャーナリストとして活動する宇野維正氏。宇野氏はこの本のなかで、宇多田ヒカルが音楽シーンに与えた影響、そして、彼女がシングル「Automatic/time will tell」でデビューした「1998年」という年はJ-POPにとってどれだけ特異な年であったかということを分析している。


宇多田が世間に出た1998年、それは、我が国で最もCDが売れた年であった。この年のCDの総生産枚数は4億5717万3000枚、総売上金額は5878億7800万円にもおよんだ。

2014年の総生産枚数は1億7038万3000枚、総売上金額は1840億8800万円にまでシュリンクしてしまっていることを考えると、どれだけこの年の音楽業界がビジネス的に大きな影響力をもっていたかということがよく分かるだろう。


そんな年にデビューした宇多田は、翌年発売したアルバム『First Love』で国内外合わせると約1000万枚にもおよぶ、未来永劫破られることはないであろうセールスを記録したのはご存知の通り。

ちなみに、14年のアルバム年間売り上げ1位は、AKB48『次の足跡』で104万枚、15年は嵐『Japonism』で98万枚。このデータからも、0の数がひとつ違う『First Love』がどれだけすごかったかがよく分かるだろう。


このようにエポックメイキングな記録を打ち立てた宇多田ヒカルだが、彼女が音楽シーンに大きな影響を与えたのは、超人的な売り上げ枚数だけにとどまらない。彼女は音楽業界の構造をも変えてしまったのだ。

そのひとつが、音楽制作におけるシステム上の変化だ。宇多田が登場する直前、ヒットチャートを席巻していたのは小室哲哉だった。この時代、小室を筆頭に、相川七瀬、ZARDなどを手がけた織田哲郎、SPEEDを手がけた伊秩弘将など、「プロデューサー」が音楽制作の軸となり、また、彼らのような人物が単なる裏方の音楽職人にとどまらず、メディアにも積極的に出る時代でもあった。

それが、宇多田の登場を分水嶺に大きく変わる。小室は最近自分のキャリアを振り返る時にしばしば「宇多田ヒカルちゃんが僕を終わらせたって感じですね」と述懐しているが、まさに彼女の登場がこの「プロデューサー」ブームを終わらせる決定打となった。

宇多田が特異だったのは、彼女は作詞・作曲のみならず、楽曲制作におけるありとあらゆる権利を自分の手に握っていたことだ。

〈日本でデビューするにあたり、所属事務所となるU3 MUSIC(社長・宇多田照實)から東芝EMIサイドに提示した条件の中には、宇多田ヒカルが自由に音楽制作をできる環境を作ること、また彼女は自由に曲や歌詞を作り、そのできあがったものに対しては第三者が手を加えないこと、という条件があった〉(『点-ten-』/EMI Music Japan・U3 MUSIC)

宇多田はデビュー時からクリエイティブ面に関して、完全な自由を獲得する。このような権利をキャリア初期から獲得していた特殊なミュージシャンの例として、他にプリンスがあげられるが(プリンスはあまりに大きな「自由」を手にし過ぎたがゆえにセールス面で自滅する時期があるのだが、それはまた別の話)、宇多田はそれに匹敵するほど大きな権利を得る。

彼女はこの権利を後ろ盾に、キャリアを重ねて行くにつれ、どんどん自分一人で作品をコントロールするようになっていく。彼女の楽曲においては、バックコーラスの声も、多重録音によりすべて宇多田本人が歌っているというのは有名な話だが(同様の制作システムを導入しているミュージシャンに山下達郎がいる)、この他にも、彼女はアルバム制作を重ねるにつれ、アレンジからプログラミングにいたるまですべての音を統括するようになっていくのである。

キャリア初期から作詞・作曲は自らの手によるものだったが、編曲に関しては外部に任せていた宇多田ヒカル。しかし、2枚目のアルバム『Distance』に収録されていた楽曲「DISTANCE」を壮大なバラードにアレンジし、8枚目のシングルにもなった「FINAL DISTANCE」以降、彼女は編曲面の仕事にも大きく関わるようになっていく。そして、04年発表の「誰かの願いが叶うころ」以降は、ほぼすべての曲で彼女が単独で編曲を行うようになった。

1998年に彼女がデビューして以降変えたものは、音楽業界のトレンドだけにとどまらない。彼女は音楽メディアのあり方も大きく変革させた。たとえば、昔懐かしい8センチ短冊シングルが消滅するきっかけをつくったのも彼女だ。現在は、シングルもアルバムと同じ12センチに統一され、若い世代には8センチCDを見たことがない人も多いというが、その変化は宇多田ヒカルがもたらしたものだった。

彼女のデビューシングル「Automatic/time will tell」は8センチと12センチ、両方の形態で98年12月にリリースされている。これまでも同年2月リリースのMISIA「つつみ込むように...」など、12センチと8センチを両方発売することはよくあることだったが、「Automatic/time will tell」で特徴的だったのは、12センチ盤の方が8センチ盤よりも売れたということだ。それまでは普通8センチの方が売上が良いものだった。しかし宇多田の場合は逆だったのだ。「Automatic/time will tell」は255万枚のセールスを記録している。この作品が、各レコード会社にシングルのフォーマットを変えるきっかけとなった。


以上述べてきたように、98年という史上最もCDが売れていた時代に登場し、おそらく永遠に破られることのない売り上げ記録を打ち立てた宇多田ヒカルは、ただ単に CDを売りまくっただけでなく、音楽業界において抜本的な変化の波をいくつも生みだしていったのだ。そして、これ以降、宇多田ヒカルがもたらしたようなパラダイムシフトが起きることはなかった。2016年の現在も1998年に起きた変化の延長線上で音楽業界は動いている。


宇多田ヒカルは、CDのフォーマットを変えたり、早くからインターネットを取り入れた活動を展開したりと、最新のメディアをうまく使いこなしてきた人でもある。CDが売れなくなり、時代はデジタル配信、そしてストリーミングへと次々と移り変わっていく昨今。彼女の出す次の一手が日本の音楽ビジネスを救うものになる可能性も十分にあるだろう。

彼女が1998年に起こした革命が2016年にも起きる。宇多田ヒカルの復活にはそれを期待したい。


PR