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- Date:2024年11月22日
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こわもて俳優・寺島進(51)は、北野武監督(68)の映画の常連だ。その風貌はヤクザや刑事役で重宝される一方、下町育ちならではの人情味がにじみ出て幅広い作品で存在感を発揮している。「愛・恩義・結束力」を家訓に掲げる男気あふれる人柄。2児の父で、オムツ替えもお手のもののイクメンでもある。
インタビューを行った喫茶店で寺島が注文したのは、フルーツミックスジュース。イメージとのギャップに驚いていると「タバコを吸ったから甘いのを飲みたくなっちゃってさ」と照れ笑い。対面してみれば、くりっとした瞳がキラキラしている優しい顔だ。「俺、優しいんだよ。そういう(こわもての)役が多いだけ」と笑って強調した。
東京都江東区深川の出身で、実家は畳店。下町の職人の中で育ったからこその気っぷの良さ。「子供の頃から目立ちたがり屋だった」といい、近所の人から「俳優に向いてる」と勧められ、高校卒業後、俳優養成所の三船芸術学院に入所。歌舞伎町の飲食店で黒服のアルバイトをしながら通い、殺陣に目ざめた。
「演劇の勉強は嫌いだったけど、殺陣が好きで向いてると思った。アクション俳優やスタントマンに憧れてたね」
殺陣師の宇仁貫三氏に弟子入り。斬られ役の大部屋に所属していた時、故松田優作さんと出会った。小劇団の舞台に客演した際、稽古場を見学に訪れた優作さんが「いいねえ」と褒めてくれた。それが縁で、優作さんの初監督作「ア・ホーマンス」(86年)で映画デビュー。「チンピラ役で、ただ歩いてるだけなんだけど“いいねえ”って褒めてくれる。うれしかったなぁ」
俳優人生に大きな影響を与えたのは北野監督との出会い。監督デビュー作「その男、凶暴につき」(89年)のオーディションで役を射止めた。
「その頃よく食事や飲みに連れていってくれて“にいちゃん、役者は一生できる仕事だからな、死ぬ間際に天下獲ったらそいつの勝ちだぜ。今売れてなくてもな、何十年後に売れたらいい。ずっとやり続けろよ”って言われて、うれしくてね。一生この世界でやり続ける覚悟が決まった」
28歳だった92年、北野監督が仕事でハリウッドに行くと聞き、渡米。ロサンゼルスで会えるチャンスを待った。
携帯電話もない時代。国際電話で北野監督の事務所に宿泊先を伝言したところ、北野監督が迎えに来てくれた。酒を飲みながら、ニューヨークから1カ月かけてバスで横断してきた珍道中を話すと「なんでうちのやつらはむちゃばっかするんだろうな」と大笑い。「“うちのやつら”って言ってくれたことが凄くうれしかった」としみじみ。その場で「ソナチネ」(93年)へのキャスティングを約束され、大役に抜てきされた。紛れもない北野組の常連となり、他の監督の作品に起用されるきっかけになった。「親に金借りてアメリカまで来たかいがあったと思った。アクションを起こさないと何も始まらない」
97年、「HANA―BI」が出品されたベネチア国際映画祭に自腹で参加し、金獅子賞(グランプリ)受賞の瞬間に立ち会った。「たけしさんは育ての親みたいな人だから、うれしそうな顔してるのを見るのが何よりも幸せ。あの人がいなかったら今の俺はないもんね」と感謝する。