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浪漫万丈

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●V6坂本昌行 もんもんと過ごしたサラリーマン時代




「デビューが決まったときは、笑顔で手を振れるかな、とか。サラリーマン時代には『頭を使うのと同時に下げるもんだ』と覚えたので(笑)。でも、悩みも何も、ずっと目指してきたことでしたし、何も考えずに『やります』と答えました」

そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第62回のゲスト・V6の坂本昌行さん(44)。V6のリーダーであり、ミュージカルや番組の料理コーナーで活躍。ジャニーズJr.時代の下積みや社会人経験からか、中山と顔を合わせると「中丸(雄一)がいつもお世話になっています」と大人のあいさつを。そんな2人のトーク、スタートです!

中山「V6は昨年デビュー20周年を迎えられて。デビューのころは『THE夜もヒッパレ』などでお会いしましたね」

坂本「懐かしいですね」

中山「先日、国分太一くんもここに登場してくれて、デビューする前は、坂本くんと一緒のグループだったという話も」

坂本「そうなんですよ。平家派というグループが始まって、初めて衣装をもらえたので、これはイケるのかな、と思っていて(笑)。光GENJIの『剣の舞』という曲では剣を持っていたのに、次の曲で旗を持つだけになって、『あれ?』と。そこから僕の中で挫折の道が続いていくんですけど」

中山「仕事に呼ばれたら行く、という日々になるんですかね。当時は何歳?」

坂本「18歳くらいでしたね。だいたい、18歳と20歳の2回、悩む時期がやってくるんですよ。高校卒業する時点でグループも組んでいないジャニーズJr.は、まず先がないと思ってしまう。当時は10代でデビューしていないと難しい、というものがあったので。どうしようと思いながら、なんとなく過ぎて20歳を前にして、『もう、これはないぞ』と確信するんです」

中山「実際に、坂本くんがそうだったと」

坂本「20歳を境に事務所をやめました。ずっとアルバイトをしていた旅行会社の先輩の、『外の世界を見るのも大事なんじゃないの?』という言葉で踏ん切りがついて。その会社に就職しました」

中山「旅行代理店ということは、ツアーを仕切ったりもして?」

坂本「当時、“ねるとんパーティ”が流行っていたので、バスの中で進行をやったりとか」

中山「いろいろやっていく中で、アイドルというものを忘れていくんですか?」

坂本「いやそれが、自分の目指してきたものが、どんどん膨らんでいくんですよ」

中山「俺は何をやっているんだ!と?」

坂本「テレビをつけると、先輩、後輩が出ているじゃないですか。やっぱり気になるし、何をやりたいのか答えを出せない自分がもどかしかったり。俺もいま頑張っているけど、その頑張ってるものは本当にやりたいことなのか?という自問自答みたいなことをしながら。そんなときに偶然、電車の中でKinKi-Kidsの2人に会うんですよ。彼らは、千葉で仕事をした帰りだって言ってて、『坂本くんはいま何やってるの?』と聞かれて、答えられなかった」

中山「何かつかえるものがあったんですね」

坂本「胸を張って、いまの仕事をしていることを言えなかった自分がいて。そのときに自分を止めていたものにヒビが入って、いままでやってきたものがよく見えるようになりました。俺はやっぱりこれしかないんだって気づいたんです」

中山「そしてジャニーズ事務所に復帰された。デビューしたいという気持ちも強く?」

坂本「それはもちろんありましたね。ただ、戻ったら戻ったで、また違う悩みが大きくなっていって。僕の中では、もうアイドルというより、役者の道に行きたいという思いもあったので。いちばん身近だった東山さんに、『戻らせてもらいましたが、もういちど新たな夢に向かってやめようかなと考えています』と相談したんです。東山さんは『頑張っている姿は、誰かが見ている』と言ってくださって、その言葉が僕の中でものすごく響いて。俺、頑張ってなかったんだ、もっと頑張らないとダメだなと。少年隊のディナーショーのバックで、傘をさして歩く場面にも、自分の中で意味や芝居をつけたり。そういうことをやっていたら、植草(克秀)くんが『あいつなんか楽しそうなことやってるな』と、見ていてくれたらしくて、これか!と」

中山「それが、1人から2人になり……と、見てくれる人が増えていくんですね」

坂本「デビューしてすぐのころに、森光子さんにごあいさつに行ったんです。そしたら、そんなに見ていてくださったんですか?というくらい、当時のことを覚えていてくださって。すべてがそこでつながったというか、報われた気持ちになりました」





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