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浪漫万丈

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●近世の春画摘発(下)

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140311/wlf14031121050035-n1.htm


【関西歴史事件簿】近世の春画摘発(下) 猥本ブームのあおり「デルヘル髪結い」「混浴」「岡場所」も取り締まり…業者とのイタチゴッコはいつの世も同じ

2014.3.16 07:00

江戸でも大人気となったのが災いしたのか。京都の浮世絵師、西川祐信が描いた春画の摘発を受けて、春画ブームも沈静化すると思われた。ところが、民衆の性欲はとどまるところを知らず、次々と出版される始末。これでは収まらない幕府は、さらに厳しい方針を打ち出し、喜多川歌麿ら有名作家を次々と餌食にしていく。その果てに待っていたのは、取り調べ中に起きた人気作家の自殺疑惑だった。

歌麿逮捕

江戸幕府の言論統制も第8代将軍・徳川吉宗の時代から、浮世絵などの風俗犯の取り締まりにも力を入れるようになった。以後は吉宗の孫・松平定信と、定信に続く松平信明がその流れを引き継がれていった。

定信の風俗矯正政策は祖父以上に厳しく、わいせつ本の出版を統制するとともに、デリヘルまがいの女髪結いや、岡場所などの歓楽街の取りつぶしを命じたほか、銭湯での男女混浴を禁じた。

そんな中、文化元(1804)年に処罰を受けたのは、美人画を描かせたら当代一とうたわれた浮世絵師の喜多川歌麿。歌麿も現代のエロ写真以上に生々しい春画を数多く残している。

このため、特に幕府の監視の目も厳しかったらしいが、おとがめを受けたのは判じ絵の「太閤五妻洛東遊観之図(たいこうごさいらくとうゆうかんのず)」。売れに売れた大坂の浮世絵師、岡田玉山(ぎょくざん)作「絵本太閤記」に見習って描かれたものらしい。

判じ絵は、絵の中に隠された本当の意味を探り当てる謎解きクイズのようなもの。秀吉が美女に囲まれて花見に興じる姿は、世間には厳しい倹約を押しつけながら自分は遊びほうける第11代将軍・徳川家斉(いえなり)を風刺したとの見方もある。

これで3週間の入牢のうえ手鎖(てぐさり)50日の刑に処せられた歌麿は、心労とともにその後も続いた多忙な執筆活動のあまり、逮捕から1、2年後に過労死したとも伝わる。

遠山の金さんも

当時、江戸におけるわいせつ本の摘発は、南北の両町奉行所に所属する同心の担当だった。同心の仕事といえば治安維持というのがもっぱらの見方だが、このころには風俗関連にシフトしていたという。

同心には、市中見廻りを主体とした定町廻(じょうまちまわ)りと定町の指導的立場にあった臨時廻りのほか、テレビ時代劇「大江戸捜査網」の隠密同心よろしく、町人や浪人などに変装して市中のスキャンダルや噂などを拾う隠密廻りがいた。

江戸時代後期の天保年間には、書店にある在庫品や出版予定のものまで三つの廻り同心に調べさせ、連名で奉行所に報告書をあげさせていた。

天保12(1841)年12月の報告書によると、この年、“有害図書”に指定されたのは7出版社から出された40冊で、その半分は恋愛小説(人情本)「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」の作者で知られる為永春水(ためながしゅんすい)ものだった。

春水は狂訓亭主人などいろんな名前を駆使して世間を翻弄していたが、当時の江戸北町奉行、「遠山の金さん」こと遠山左衛門尉(さえもんのじょう)景元の取り調べを受け、同13年6月、手鎖50日の刑の判決を受けている。

ある作家の自殺疑惑

こういった厳しい追及の結果、書店は、わいせつ本などについては店頭ではなく、訪問に絞って販売を続けるようになる。

このように、作者や出版社・書店があの手この手で奉行所の目から逃れようとする中、ベストセラー小説「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」の著者、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が取り調べの中の天保13年7月19日に死亡している。

柳亭種彦は本名を高屋彦四郎といい、格は下ながら食禄200俵の旗本。体も弱かったため、若いときから文学に傾倒し、特に井原西鶴や近松門左衛門の作品の研究に没頭したという。

「偐紫田舎源氏」は室町幕府第8代将軍・足利義政の妾(めかけ)の子、光氏(みつうじ)が光源氏ばり好色ぶりをみせながら山名宗全が盗んだ足利氏の財宝を取り戻し、宗全も滅ぼす-といった、ちょっぴりお色気ありの勧善懲悪ストーリー。

カレンダーなどのキャラクター商品が出るほどにヒットしたが、老中・水野忠邦から「偐紫田舎源氏」でお叱(しか)りを受けたあとの失意による自殺とも、病死ともいわれている。

挿絵担当は歌川国貞。天保12年に提出されたあの同心の報告書の中で出版予定分にあげられていた種彦の「春情妓談水揚帳(しゅんじょうぎだんみずあげちょう)」の方が過激さでは勝っているだけに、水野の叱責は言いがかりだったようにも思えてならない。

(園田和洋)

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